象山先生遭難碑 碑文の大意
(ペリーが来航した)嘉永以後,外国船がやってきて開国を迫り,国論は二分したが,鎖国攘夷の論を唱える者が主であった。この時に佐久間象山先生は高い識見により攘夷論を排し開国を唱え,ついに暗殺されるに至った。元治元(1864)年7月11日のことである。50年後,有志によって石碑を建立し,終焉の地を記念するものである。この碑の場所から東へ52尺(約15メートル)が先生の暗殺された現場である。