空爆被災を記録する碑

KA129

くうばくひさいをきろくするひ
石碑(0027032)石碑周辺(0027030)

 昭和20(1945)年6月26日の昼ごろ,西陣の一画にアメリカ軍による空襲があった(西陣空襲)。被災したのは、上長者町通・大宮通・下立売通・浄福寺通に囲まれた,ほぼ四百メートル四方の地域で,300戸ほどの家屋が被害を受け,43人が犠牲となった。この石標は,西陣に空襲があったことを記し,その被害状況を伝えるものである。

所在地上京区智恵光院通下長者町上る東側(辰巳児童公園内)
位置座標北緯35度01分21.8秒/東経135度44分48.4秒(世界測地系)
建立年2005年
建立者空爆被災を記録する碑の建立委員会
寸 法高92×幅101×奥行56cm
碑 文
[西]
      空爆被災を記録する碑
   昭和二十年(一九四五年)六月二十六日昼前、低い雲の上空に、敵
機B29の爆音が近づき、突然に轟然たる爆発音とともにすさまじ
い土煙が上がった。この時の被爆は上長者町通より南は下立売通、
東は大宮通、西は浄福寺通に至る方四百メートルの地域で、当時の
報告には五十キロ爆弾七発とも五発とも言われた。
   報道管制のため、その状況は、多くの市民の知るところとならな
かったが、西陣警察署の記録によると、
   一、死傷者      即死   四十三人、   重傷   十三人、
                        軽傷   五十三人、            計      百九人。
   二、被害家屋   全壊   七十一戸、半壊   八十四戸、
                        一部損壊   百三十七戸、計二百九十二戸。
   三、罹災者      八百五十人。
であった。ちなみにこの辰巳公園も被災地跡にできたものである。
   第二次大戦(大東亜戦争)において京都市は非戦災都市と言われ
てきたが、東山区馬町と太秦の三菱工場および当地域が爆撃をうけ
たものであり、当地域が最も大きな犠牲者を出したのである。
   ここに戦後六十年を期して、この悲惨な空爆の事実を伝えるため
この碑を建立して後世への記録と留める。
               平成十七年八月
                                       空爆被災を記録する碑の建立委員会
【爆地点を示す略地図あり】
調 査2006年9月29日
備 考

上へ

[HOME]