千利休居士聚楽屋敷趾KA121 |
せんのりきゅうこじじゅらくやしきあと |
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千利休(1522~91)は豊臣秀吉に仕え,秀吉が天正14(1586)年に聚楽第を造営すると,その周囲に邸宅を構え茶会を催した。『茶道要録』には邸宅の位置を「葭屋町通り元誓願寺下ル町」と記し,晴明神社の地に隣接する。この石標は千利休の聚楽屋敷を示すものである。 |
所在地 | 上京区葭屋町通一条上る(晴明神社内) |
位置座標 | 北緯35度01分39.6秒/東経135度45分04.6秒(世界測地系) |
建立年 | 2004年 |
建立者 | 千宗守 |
寸 法 | 高138×幅18×奥行18cm |
碑 文 | |
[東] | |
千利休居士聚楽屋敷趾 | |
[西] | |
平成十六年十月居士十四世官休庵千宗守 | |
[北] | |
晴明神社の地は千利休宗易居士が聚楽屋敷を構え茶事を催し | |
茶湯に用いたとされる井戸が現存する旧跡である | |
[南] | |
平成十五年神幸祭晴明少年鼓笛隊々長 | |
奉仕記念 | |
晴明神社御鎮座壱千年祭奉賛会会長 | |
調 査 | 2004年12月1日 |
備 考 |