皆川淇園弘道館址

KA047

みながわきえんこうどうかんあと
石碑(0029270)石碑周辺(0029271)

 儒者皆川淇園(1734〜1807)は,医者の家に生まれ,独自の説を打ち立てて自邸に私塾弘道館を開いた。その門人は三千人を超えたという。この石標はその塾跡を示すものである。しかし『平安人物志』等では中立売通室町西入と記され,この石標の位置は再考を要する。『京都市教育会沿革略』(1932年同会刊)には大正6年の事業として「皆川淇園宅址(室町中長者町西)」ほかの「史蹟保存石標」を建立したと記す。
 なお,寄附者山田長左衛門(号永年)はこの地に隠宅を構えた京都の富商で,詩人・書家・古典籍の蒐集家としても著名な人物である。

所在地上京区上長者町通室町西入北側
位置座標北緯35度01分25.7秒/東経135度45分26.5秒(世界測地系)
建立年1917年
建立者京都市教育会
寸 法高108×幅19×奥行19cm
碑 文
[南]
皆川淇園弘道館址
[西]
大正六年三月建之 京都市教育会
[北]
寄附者 山田長左衛門
調 査2002年2月8日
備 考

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