蒙古塚

HU147

もうこづか
石碑(0027864)石碑周辺(0027865)

 『拾遺都名所図会』巻五によれば,天応元(781)年に「異国の蒙古」が日本へ攻め寄せ,早良親王率いる軍勢がこれを退けた。その時の蒙古軍の大将の首を藤森神社に埋めた塚が蒙古塚と呼ばれて残っていると記す。鎌倉時代の蒙古襲来(文永・弘安の役)のことが,武功祈願の神社である藤森神社の祭神早良親王の事蹟として伝えられたものかもしれない。この石標は蒙古塚を示すものである。なお寄附者西村伊三郎は伏見(深草?)の人。砂子川のしこ名で相撲をとり,また相撲の興行にも携わった。

所在地伏見区深草鳥居崎町(藤森神社内)
位置座標北緯34度56分59.6秒/東経135度46分17.5秒(世界測地系)
建立年1919年
建立者西村伊三郎(寄附)
寸 法高195×幅33×奥行33cm
碑 文
[東]
蒙古塚
[西]
            砂子川事
寄附者      西村伊三郎
[北]
大正八年六月五日建之
調 査2008年5月6日
備 考

位置図
位置図

上へ

[HOME]