療病院址HI043 |
りょうびょういんあと |
療病院は府立医科大学附属病院の前身で,蘭学医明石博高(1839〜1910)らが資金を募って創設した。明治5(1872)年9月,木屋町二条に仮病院を開設しドイツ人医師らによる診療を開始,11月に青蓮院に移り診療と医学教育が行われた。同13年仮病院から本院に発展し,河原町広小路に開院した。明治36(1903)年,京都府立医学校が京都府立専門学校(現京都府立医科大学)に改編された時に同校の附属病院となった。この碑は青蓮院時代の仮療病院を記念するものである。 |
所在地 | 東山区粟田口三条坊町(青蓮院内) |
位置座標 | 北緯35度00分27.5秒/東経135度46分59.3秒(世界測地系) |
建立年 | 1954年 |
建立者 | 京都府立医科大学創立八十周年記念委員会 |
寸 法 | 高118×幅22×奥行22cm |
碑 文 | |
[北] | |
療病院址 | |
[東] | |
京都府立療病院は明治五年十一月から同十三年 | |
七月まで当門跡の境内で開設されていた | |
[南] | |
京都府立医科大学 | |
創立八十周年記念事業委員会 | |
調 査 | 2002年2月25日 |
備 考 | 建碑年は京都府立医科大学創立八十周年記念事業委編『京都府立医科大学八十年史』(1955年編者刊)による |
位置図 | |