法住寺殿蹟

HI009

ほうじゅうじどのあと
石碑(0006011)石碑周辺(0006013)

 法住寺は,永延2(988)年右大臣藤原為光が娘*子(花山天皇女御)の死後,その邸宅を寺とした。長元5(1032)年に焼失し,のち再興の記事はない。さらに1世紀あまり後,後白河法皇(1127〜92)が,出家してここを院御所として住し法住寺殿と呼ばれた。寿永2(1183)年,木曾義仲(1154〜84)の襲撃により殿舎が焼失し,以後再興されなかった。現存の蓮華王院(三十三間堂)は,長寛元(1163)年,平清盛(1118〜81)が造立した法住寺殿の堂宇の一つ。この石標は法住寺殿の跡を示すものである。

所在地東山区三十三間堂廻り(法住寺前)
位置座標北緯34度59分14.9秒/東経135度46分20.0秒(世界測地系)
建立年1929年
建立者京都史蹟会
寸 法高126×幅20×奥行18cm
碑 文
[西]
法住寺殿蹟
[東]
昭和四年三月
[南]
      東東大路      西大和大路
四至
      南泉涌寺道   北七条通
[北]
京都史蹟会建
調 査2002年2月12日
備 考


解説中「*」字


位置図
位置図

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