本丸造営当初の庭園は、史料が不足している為、どのようなものであったか分かっており ませんが、二の丸庭園にひけをとらない庭園が存在していたと考えられています。しかし、天明8年(1788)の大火の飛び火によって本丸御殿、隅櫓、多聞櫓などが焼失。庭園も延焼して空地となっていたと思われます。幕末には、本丸内に徳川慶喜の居室が建てられ、庭園は茶庭風に作られました。
居室は老朽化のため明治14年(1881)に撤去、庭園も取り壊されて空地となりましたが、明治26年(1893)から明 治27年(1894)にかけて京都御苑内にあった旧桂宮邸の一部が移築されて、枯山水庭園が作庭されました。 |
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平面図からみた本丸庭園 (矢印の所をクリックしてみてください。)
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