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お城の基礎知識

日本の城の歴史

 城は,敵の攻撃を防ぐために築いた防御施設のことで,古代の城(き)や柵(き)あるいは都城,中世の領主の居館や山城・砦,さらには環濠で囲まれた寺内町などをはじめ,江戸末期に各地に築かれた砲台まで含む幅広い用語です。

 その中で,最も城らしい城とみなされているものの大半は,戦国時代末から安土桃山時代をへて,江戸初期に至る半世紀ほどの間に築かれたものです。

 この期間には大小あわせて3000にも及ぶ城郭が乱立していました。
 しかしながら大坂夏の陣(1615年)直後の徳川幕府による「一国一城令」によって,その数は一挙に約170城まで減少し,その後は城の新築はもとより増改築さえも幕府の許可なしには一切できなくなってしまったため,ほぼ同じ状態で明治維新を迎えることになりました。

 明治維新で武士の支配が終わると,明治新政府によって明治6年(1873年)城郭の廃城令が明示されて,明治7・8年頃には約三分の二の城郭が廃城となってしまいました。

 その後,太平洋戦争においても大きな被害を被りましたが,戦後は,城の歴史的価値は見直され,またすぐれた観光資源として焼失した天守閣や櫓・城門などの再建・復興が相次ぎました。

城郭の構築分類

山城

 南北朝の争乱期に山岳寺院などを利用した山岳城郭が発生し,ゲリラ戦の拠点としてその威力を発揮するようになり,それ以前の平地の地頭館・国人領主館などに代わって,次第に山城が発達するようになりました。
 室町時代には100m~200m級の山城が守護の居城として一般化するようになり,さらに戦国時代になるとその規模はますます大きくなりました。

平山城

 戦国大名によって領国が統一され,家臣団と商工業者の集住が進むと,山上の要害だけでは不十分となり,広い平地を裾野に持つ低い山や平野の丘陵地が城地に選ばれて,城下町と一体となった城づくりが主流になっていきました。

平城

 戦国末期から江戸初期にかけて各大名の領地は,広大となっていきました。それに伴い,城郭や城下町の建設には,政治的・軍事的・経済的な効率化を求めて,広い平野部が選ばれるようになりました。豊臣秀吉の大坂築城が本格的な平城構築の最初の典型例とみなされています。

城郭の曲輪の名称

曲輪

 役割や機能に応じて城内で区画された小区域のこと。郭・廓の字を当てることもあります。

本丸

 城の中心となる曲輪で,戦時には司令部が置かれます。近世の城郭では,城主の居館や政庁のための御殿と天守を備えているのが普通です。

二の丸

 本丸を直接守備する曲輪で,城主の居館が建てられる例も多く,武器・兵糧の倉庫などが建ち並ぶのが普通です。

三の丸

 本丸を間接的に,二の丸を直接守備する曲輪で,近世の城郭では家臣の屋敷や馬場などが配置されていることが多くなります。

その他の曲輪

 本丸の規模が大きくなり,御殿が建て込むと,戦時の司令部・最後の篭城の拠点となる小曲輪が必要となってきました。そのため本丸の中に別の区画として構築したのですが,これを「詰の丸」・「詰の城」あるいは「天守曲輪」などと呼びます。

 また,城内に「西の丸」・「北の丸」・「東の丸」などの独立した曲輪が配置されることもあって,「山里曲輪(山里丸)」のように茶の湯のための風雅境が築かれた例もあります。
 さらに用水を守るための「水の手曲輪(井戸曲輪)は城には不可欠なものでした。

堀と塁

 堀と土塁・石塁は城の最も基本的な防御施設です。土塁は土を盛り上げて築いたもの。石塁は土塁の代わりに石垣を築いたもの。石積みの手法には,自然石のまま積む古い様式の野面積み,石面や石のかどを加工して石垣表面を整え,石と石の隙間に合端石を詰めた打込ハギ,切り石を隙間なく積み上げた切込ハギなどがあります。

戦国時代から安土桃山時代の城では,野面積みが主流であり,関ヶ原の戦い以後の慶長年間(1600~1615)に築かれた城では打込ハギの石垣が多い。切込ハギが多用されるのは江戸時代に入ってからです。

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