京都市指定・登録文化財−美術工芸


もくぞうあみだにょらいざぞう
木造阿弥陀如来坐像
中道寺に伝わる阿弥陀,薬師,十一面観音の3躯は作風より,当初から1具として製作されたと思われる。もとこの地の氏神八幡宮に伝えられ,明治の廃仏毀釈の際,同寺に移されたといわれている。榧の一木造で,漆箔や彩色をほどこさない素木造である。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
中道寺の阿弥陀・薬師・十一面観音は,いずれも頭と胴を一木で作り,これに横材で作った膝を矧ぎ寄せる構造であるが,薬師のみは内刳りして背板を当てており,他は内刳りをほどこさない。衣文の彫りは簡略なものであるが,3躯とも体各部の均衡がよく,洗練された技巧を示している。

もくぞうじゅういちめんかんのんざぞう
木造十一面観音坐像
本像を含む中道寺の3躯は,その写実的な作風から,おそらく鎌倉中期製作の像と思われる。光背は桧材で,蓮弁を筋彫して頭光とし,その外側に朱で火焔を描いている。台座は厚さ3cmの円盤状の素朴なものである。本地仏の例として重要と言える。

ぼんしょう
梵鐘
鋳銅製,笠形からなだらかな曲線をもって広がり,中程より垂直に下がる。竜頭は,宝珠を中心に双頭が笠形をかむ。乳の間は丈低めで4段4列の乳を配す。この梵鐘の作者沙弥圓道の銘のある鰐口が,亀岡市の金輪寺にあり,それには永徳二年(1382)の年記がある。

かけぼとけ
懸仏
円形の銅板の中央に,阿弥陀如来,薬師如来(左),十一面観音(右)の3躯の仏像を貼付け,各仏は天蓋,光背等を具備する。下方には波紋を表した上に蓮華を挿した水瓶を添えている。裏面に「応永廿三年六月十九日」の年紀があり,八幡本地仏の遺例として貴重である。

かけぼとけ
懸仏
形状その他は同社懸仏(応永廿三年銘)に準ずるが,中尊台座に蓮弁があり,表される仏像が阿弥陀如来,釈迦如来(左),薬師如来(右)である点が異なっている。銘文はないが室町時代初期の製作であり貴重な資料である。

わにぐち
鰐口
小形の鉄製鰐口で,撞座は複弁の八葉蓮花であるが形のくずれが見られる。甲面を3区に分かち,外区に下記の銘文を陽鋳する。年記のわかる鉄鰐口として珍しい遺品であるが,錆等による形のくずれが著しく,また片面の下方に大きな割損があるのが惜しまれる。(銘文)八幡宮 大永五年乙酉三月十五日

わにぐち
鰐口
甲面の張りの少ない比較的平板な鰐口。撞座(とうざ)は八葉蓮弁で8個の小子房を表す。甲面は三重圏線を用いて3区に分かち,外区に下記の銘文を陰刻する。作者,年代等の判明する鰐口として貴重な資料である。(銘文)丹州桑田群弓削庄一宮八幡宮御宝前鰐口也 享保四年乙亥卯月四日上下村敬白大工藤原宗次

わにぐち
鰐口
やや小形の鰐口で,撞座は複葉の八葉蓮華で,八個。小房を表す。甲面を圏線によって4区に分かち,外区に銘文を陰刻する。甲前面に鍍金のあとが見られる。

けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんしんぞう
絹本著色釈迦十六善神像
大般若経転続に際し,奉懸される釈迦十六善神の画像で,中央に釈迦の坐像を描き,両側に文殊普賢の二菩薩,常啼菩薩,法涌菩薩ならびに十六善神を8体ずつに分けて配する。更に最前方に玄奘三蔵と深沙大将をあらわしている。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
定朝様の像で藤原後期の作と思われる。体各部の均衡はとれているが,近年の修理で様相を一変した。浅く刻んだ飜波式衣文,あるいは膝の真中に衣下端を垂らすところなどは古様である。

もくぞうにょらいぎょうざぞう
木造如来形坐像(阿弥陀如来)
一木造の本像は,寺伝では阿弥陀如来という。像高50cmほどの仏像ながら量感に富み,また内刳りをほどこさない構造は,平安時代も早い頃の作風を示す。小さな目鼻立ちや,浅い衣丈などは10世紀後半の製作を想定させるものである。

もくぞうにょらいぎょうざぞう
木造如来形坐像(伝薬師如来)
桧材の一木造,彩色仕上げの像で,同寺木造如来形坐像(阿弥陀如来)と大きさ,構造とも同じである。白亳は残るが,肉髻珠は確認されない。その顔立ち,大きめの肉髻,彫出された螺髪,脚部の方丈表現,豊かな量感など,木造如来形坐像(阿弥陀如来)と作風が類似している。

もくぞうにょらいぎょうりゅうぞう
木造如来形立像
桧材,彫眼,彩色仕上げの像で両足先と両手首より先は後補である。両手首より先が後補であり当初の尊名は不明ながら,現在は阿弥陀の来迎印を結ぶ。同寺の地蔵菩薩立像の作風に極めて近似しており,同じ作者によって製作されたと思われる。

もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう
木造地蔵菩薩立像
桧材,彫眼,彩色仕上げの像である。彩色,両足先,台座などは後補で,また両手は欠失している。両貌の表情や胸の付近の袖衣の折り返しなどに顕著に見られるように同寺の如来形立像の作風に近似している。

もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう
木造千手観音立像
仏師定朝の流れをくむ平安時代後期の都風の典型的な彫刻である。

はんぽんだいはんにゃきょう
版本大般若経
巻子本を改装した半面5行の折本で,室町時代の版本を主体とし,欠失分は江戸時代の版本で補っている。巻第600ほか一部の巻の奥書に「応永戌夏五吉日願主清信男女道栄妙勝等」とあり,この頃の摺本とみられる。また天保15年(1844)に,12箱を新調した旨の奥書が見られる。

けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんしんぞう
絹本著色釈迦十六善神像
中央に釈迦如来,脇侍に常啼,法涌の二菩薩を描き,その周囲に十六善神,下方には玄奘三蔵,深沙大将を描く。描写は細緻でまとまりがよく,室町初期の佳作である。本図は,大般若経とともに文明13年(1481)に購入され,吉野宮に奉納されたことが 添付別紙により判明する。

けんぽんちゃくしょくふどうみょうおうぞう
絹本著色不動明王像
右手に剣,左手に索を執り,岩座上に立つ不動明王を描く。「妙沢老人奉施」の落款より竜湫周沢(1302〜88)の筆と知れる。竜湫周沢は夢窓疎石の弟子。嘉慶2年(1388)に没するまで,不動明王を描き続けた。本図は火焔光に朱,頭髪等には群青を塗るなど賦彩もみられ,この種の中で珍重される一作である。

けんぽんちゃくしょくじゅうろくぜんしんぞう
絹本著色十六善神像
中央に金色の釈迦三尊を描き,馬を連れる玄奘の図様など,仏画の系統的伝統を尊重しているといえる。表現に幾分の堅さが見られ,室町時代も半ば頃の作であろう。

けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんしんぞう
絹本著色釈迦十六善神像
釈迦十六善神像を3幅に分けて描くものは異例である。その作風から,室町後期の作と思われる。なお新補の箱に「吉富本庄宇津郷朝日寺本尊箱常住物也/永禄五年卯月五日」の墨書があり,当初,八幡宮の神宮寺・朝日寺に伝来したものと考えられる。

たんばのくによしとみしょうえず
丹波国吉冨庄絵図
本図は後白河法皇御領法華堂領吉富庄絵図で,裏面には承安4年(1174)10月20日の年記がある。作風は江戸初期頃のやまと絵風であり,中世から江戸初期まで数度に渡り模写を繰り返したものと推測される。

もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう
木造地蔵菩薩立像
 後世の紙貼彩色のため,彫りが鈍くみえるが,平安中期の一木造の佳作である。同寺には数多くの仏像が安置されているが,その中では製作年代も古く,作柄も優れている。

もくぞうあみだにょらいざぞう
木造阿弥陀如来坐像
天稚神社境内の阿弥陀堂に伝わったが,明治初年の神仏分離に伴い,宝際に「定朝」風の作例で,製作は平安後期。小粒の螺髪,やや伏目がちの相好,肩から腹部にかけての衣のゆったりとした造形,膝の衣文の美しく整った表現など,その特色をよく示している。

もくぞしゃかにょらいりゅうぞう
木造釈迦如来立像
いわゆる清凉寺式釈迦像で渦巻型に頭部を巻く髪型や,身体の全体を覆う衣,衣文が同心円状であり,間に茶杓形の衣文をなどに特色がある。清凉寺式釈迦如来像は,鎌倉時代の南都仏教(特に律宗)復興の際,全国的に模刻が行われたが,本像は当地域唯一の模刻像である点で貴重である。

もくぞうあけちみつひでざぞう
木造明智光秀坐像
周山観音寺山の真言宗所属の密厳寺にあったが,明治27年に慈眼寺に移されたものである。明智光秀の肖像彫刻として甚だ貴重である。


おしおくゆうもんじょ
小塩区有文書
天正15年(1587年)の太閤検地から明治22年,市町村制が布かれるまでの小塩村のあゆみを記した865通の古文書。

わにぐち
鰐口
口唇,眼の出が小さく,両肩に両面耳を付す。表裏とも圏線で撞座区とも3区に分かち,外区には左右に刻銘がある。撞座は小型で特異な八曜文を鋳出す。銘文(右)丹州桑田郷上熊田村東晃寺鰐口也(左)文明八年 丙申 十一月十七日願主敬白 洛法 禅門

だいはんにゃきょう
大般若経
大般若経には書写や修復の記録のほか,様々な識語があり,歴史資料として重要視されている。本件の識語には朝日山に遺構を残す朝日寺の僧侶が読経した旨も記される。文安4年(1447)に巻子から折本に改装された。保存状態も良好で,豊富な識語を持つ点で重要である。

けんぽんちゃくしょくせいずびゃくえかんのんぞう
絹本著色青頭白衣観音像
3幅からなっていて,中幅は正座の白衣観音,左右は蓮弁の船に乗る観音を描いている。神仏習合の思想に従い,庶民信仰の象徴として神前に掲げられたと考えられる。

もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう
木造千手観音立像
本像は崇禅寺あるいは先光寺伝来の像とされる。一木造で,肩から片側に21臂ずつ,計42臂を矧ぎつけ,その間に多数の腕をつける。千手観音は通常42臂だが,稀に千臂を有するものがあり,本像の技法はそれに共通する。バランスのとれた作風は平安後期の特徴を示し,厳しい面相や固い衣文は当地の製作を思わせる。

つりどうろう
吊燈籠
六角形の銅製の吊燈篭で,笠より下から脚まで鍍金を施している。火袋の支柱に羅刹堂 願主了仙 天正十九年辛卯十一月吉日と刻されている。これによって,本灯篭は天正19年(1591)の作であることがわかる。

きゃくでんしょうへきが かのうえいがくひつ
客殿障壁画 狩野永岳筆
隣華院は慶長4年(1599)の創建であるが,現在の客殿は文政7年(1824)に上梁されたもの。本件は室中及び仏間を除いた,上間一の間,二の間,下間一の間,二の間,南北鞘の間,中眠蔵(めんぞう),西眠蔵,杉戸の障壁画計113面である。制作年代は文政8年(1825),筆者は狩野永岳(1790〜1867)である。永岳は京狩野家の9代目当主。本障壁画は永岳36歳と若い時期の希少な基準作である。また保存状態も良好で,江戸後期の京都における漢画派の大規模な障壁画の遺例としても貴重である。

しほんちゃくしょくみつうんえんごぞう しほんちゃくしょくひいんつうようぞう しほんちゃくしょくいんげんりゅうきぞう しほんちゃくしょくもくあんしょうとうぞう しほんちゃくしょくてつぎゅうどうきぞう
紙本著色密雲円悟像1,紙本著色費隠通容像 1,紙本著色隠元隆き像 1,紙本著色木庵性とう像 1,紙本著色鉄牛道機像 1
本図は,5人の黄檗僧を,黄檗系独特の写実的な肖像画を学んだ喜多元規が,元禄6年(1693)8月に描いたもの。

もくぞうじぞうぼさつざぞう
木造地蔵菩薩坐像
染殿地蔵とも呼ばれる丈六の赤色檀色像。やや面長で脇を固く締め,衣文を浅彫りとする点は,同じく丈六像である右京区花園地蔵院の地蔵菩薩坐像(11世紀初)と酷似する。ただし,左肩から腹部にかけての衣の波打ちや,裳の上縁の堅い表現などから鎌倉時代前半の模古作と考えられる。

しほんちゃくしょくまつおたいしゃえず
紙本著色松尾大社絵図
神体山の松尾山を背景に,社頭や近郷一帯を東方から見て描いたもので,室町時代前期の制作。古代,中世前期のいずれの時期の景観を描いたものかは不明だが,松尾大社盛期の社頭及び近郷の景観を伝える資料として貴重。

こにしやすおししょぞうもんじょ
小西康夫氏所蔵文書
禁裏外記局に関するもので,元は外記局若しくは大外記押小路家に伝わったものか。特に酒麹役関係の文書は中世後期の商業史を知る上で貴重。

しんいましょうへきが ごしゅんひつ
新居間障壁画 呉春筆
画面は襖4面からなり,冬の早朝,靄の中に無人の舟が沖の方へ静かに漂う様子が描かれる。すべり落款と称される落款書体等から,呉春(1752〜1811)の晩年期,文化年間に入ってからの制作と判断される。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
ヒノキ材を用いた一木造で,漆箔,彫眼の技法によって制作されている。頭部と体部とのバランスがよく整っており,量感もほどよい。力強く,肩幅の広い上半身や,膝張りの大きい造り,衣の全体をめぐる条線的衣文等,全体から判断して平安時代中期の制作と考えられる。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
衣文の表現,胸前,裳先の旋転文等神秘感を持つ薬師堂の本尊。衣に朱,肉身に漆箔を施す。頭部は低い肉髻,広い面幅,穏やかな目鼻立ち等,物静かであるのに対し,体部は胸,腹部に厚みがあり,膝張も十分で堂々とした造形である。制作は平安時代前期と考えられる。

もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう
木造不動明王立像
薬師堂に安置されている像。巻髪は大きく渦巻く華やかな形で,弁髪を左肩に垂らす。目は天地眼とし,牙は上下に出す面相であり,天台系の安然様不動の系列に属する。怒りの表現は誇張に走らず穏やかにまとめられ,気品に満ちた不動明王の美作。制作は平安時代後期。

もくぞうやくしにょらいざぞう
木造薬師如来坐像
源平の争乱を避けて赤間関から移したものと伝える。螺髪を小粒に整然と刻み顔立ちも穏やか。肩から胸の肉付きが豊かで,腹部には厚みがあり背中をやや屈める体勢は自然である。頭体の比例は調和がとれ,量感は程よい。定朝様の特色を示す平安時代後期の美作。

しほんぼくしょふしみいなりたいしゃえず 
紙本墨書伏見稲荷大社絵図
境内を西方から見て描いたもので,図中の年紀から天正17年(1589)に,当時伏見稲荷大社中社の神主であった大西継長(1530〜1614)により描かれたものとわかる。その年は豊臣秀吉による同社社殿修造の始まった年にあたることから,本図はその完成予想図と考えられる。当社の近世初期の様子や秀吉の社殿修造のありさまを伝える貴重な資料。

もくぞじぞうぼさつりゅうぞう
木造地蔵菩薩立像
旧下鳥羽村の人々によって守り継がれてきた像。壬生寺の地蔵菩薩半跏像(焼失)と同じく,腹前に裳の結び目を表す。温和な相,撫で肩の体型,彫りの浅い衣文線,そして極めて浅い全体の奥行き等,平安末期の様風を示すものの,型にはまった固い表現を考慮すると鎌倉時代初期の作と考えられる。

わかやまけもんじょ
若山家文書
東塩小路村の村役を歴任した若山家に伝わった文書。若山家が東塩小路村周辺の開発者であったことを示す文書等が含まれている。

いたえちゃくしょくつなぎうまず ながさわろせつひつ
板絵著色繋馬図 長澤蘆雪筆
繊細で大人しい表現の繋馬を描く本扁額は,御幸町通安土町が伏見稲荷大社に奉納したもの。画面に記された七言絶句の年記から寛政8年(1796)に制作されたものとわかる。画の筆者は円山応挙に学び応門十哲に数えられた蘆雪(1754〜99),漢詩の作者は皆川淇園門下の松本愚山(1755〜1834)。蘆雪の交友範囲を示す最晩年の基準作。

たなかけもんじょ
田中家文書
本願寺近辺六条系統の大工組関係の文書。中心を占める大工仲間関係,大工間の争論関係文書や社寺・町家等の明治建築等の普請関係文書は京大工組を理解する上で貴重。


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